見えない心の傷とどう向き合うか。保護動物のトラウマケアで経験したこと
保護動物たちの「見えない傷」と向き合う日々
保護活動に携わっていると、様々な背景を持つ動物たちと出会います。身体的な傷や病気はもちろんですが、目に見えない「心の傷」、いわゆるトラウマを抱えている子も少なくありません。彼らが経験してきたであろう、辛い過去に思いを馳せるたび、何とか癒してあげたいという気持ちが湧き上がります。
しかし、この「トラウマケア」という道のりは、想像以上に難しく、そして私たちボランティア自身の心にも深く問いかける作業であると痛感しています。
具体的な困難に直面して
私が預かったある犬は、最初はケージの隅から全く出てこられませんでした。小さな物音に怯え、人が近づくだけで震えが止まらないのです。おそらく過去に強い恐怖を経験したのでしょう。
最初は「時間をかければ慣れてくれるだろう」と楽観的に考えていました。優しく話しかけ、静かな環境を提供することから始めました。しかし、数週間経っても状況はあまり変わりません。食事も人が見ていると食べられず、夜中にこっそり食べているようでした。
他のボランティア仲間や、相談できる専門家(ドッグトレーナーや行動学者)にアドバイスを求めました。特定の音への敏感さ、特定の動作への恐怖反応など、具体的な行動の背景にあるものを分析し、それに対する具体的なアプローチ方法を学びました。例えば、恐怖を感じる対象から少しずつ慣らしていく「系統的脱感作」のような手法を、専門家の指導のもと試みました。
この過程で最も辛かったのは、自分の無力感です。どんなに頑張っても、動物の恐怖がすぐに消えるわけではありません。時には、私の不注意な行動で、動物をさらに怯えさせてしまうこともありました。そのたびに、「私はこの子を本当に救えるのだろうか」「これ以上、傷つけてしまうだけではないか」という自責の念に駆られました。
また、トラウマケアは時間と根気が必要です。数ヶ月、場合によっては年単位で、小さな変化を見逃さずに根気強く向き合わなければなりません。他の預かり動物の世話や、自身の生活とのバランスを取りながら、特定の動物に深いケアを提供し続けることの精神的な負担は想像以上でした。
学び、そして見えてきたこと
このような経験を通じて、私はいくつかの重要なことを学びました。
まず、トラウマケアは私たちボランティアだけで抱え込むべきではないということです。専門家の知識や技術は非常に重要であり、彼らのサポートなくしては難しいケースがたくさんあります。適切な知識を持たずに自己流で行うことは、かえって逆効果になるリスクもあります。連携の大切さを改めて認識しました。
次に、動物のペースを何よりも尊重することです。早く改善させたいという人間の焦りは禁物です。動物が安心できる距離や環境を常に意識し、小さな一歩でも見つけたら心から褒めること。その「小さな一歩」を見つけること自体が、私たちにとっての大きな喜びとなります。
そして、自分自身の心のケアも不可欠だということ。動物の苦しみに寄り添うことは、私たち自身の心も消耗させます。無力感や悲しみを抱えすぎず、適度に休息を取り、他のボランティア仲間と感情を共有することの大切さを知りました。一人で抱え込まない勇気も必要です。
終わりではなく、続いていく向き合い
トラウマを完全に「治す」ことは難しいのかもしれません。動物の過去を消すことはできないからです。しかし、彼らが新しい環境で、少しでも安心して過ごせるように、人間の優しさを信頼できるようになるように、共に歩むことはできます。
私が預かったあの犬は、今では少しずつ心を開き、私の隣で眠ることもできるようになりました。まだ怯えることもありますが、最初の頃に比べれば見違えるような変化です。この変化は、私一人では成し遂げられませんでした。多くの人の支えがあり、そして何よりも、動物自身の持つ生きる力があったからこそです。
保護活動におけるトラウマケアは、喜びと同じくらい、いやそれ以上に多くの困難や葛藤を伴います。ですが、見えない心の傷が少しずつ癒えていく過程を間近で見られることは、何物にも代えがたい経験です。それは、動物たちの回復力への畏敬の念とともに、私たち自身の人間性や向き合い方を深く見つめ直す機会を与えてくれます。
この道のりは終わりがなく、保護活動を続ける限り、また新たなトラウマを持つ動物たちとの出会いがあるでしょう。そのたびに悩み、苦しむこともあるかもしれません。しかし、これまで経験し学んだことを活かし、動物たちの心に寄り添い、最善の道を模索し続けていきたいと考えています。それが、「保護活動の本音」と向き合うということだと感じています。