保護活動の本音

効率か、情熱か。保護活動数年目で直面する「慣れ」との葛藤

Tags: 保護活動, ボランティア, 葛藤, モチベーション, 本音

効率か、情熱か。保護活動数年目で直面する「慣れ」との葛藤

動物保護活動を始めて、数年が経ちました。最初の頃は、目の前にいる命を何とか救いたいという、強い衝動と情熱に突き動かされていたように思います。一頭一頭との出会いは劇的で、別れは涙なしには語れませんでした。

しかし、活動が日常の一部となるにつれて、良くも悪くも「慣れ」が生じてきたことを感じています。迎える動物たちの背景に驚くことも減り、ケアの手順も身体が覚えました。譲渡会やイベントの準備も、以前ほど新鮮な気持ちではなく、タスクとしてこなすことが増えたように思います。

この「慣れ」は、活動を効率的に進める上では必要な側面もあります。限られた時間や資源の中で、より多くの命を救うためには、感情に流されすぎず、冷静かつ迅速な判断が求められるからです。書類作成、清掃、医療ケアの補助といった一つ一つの作業を、ある程度の速さで正確にこなさなければ、活動は立ち行かなくなります。初期の頃のように、一頭とじっくり向き合う時間ばかりを取るわけにはいかない現実があります。

目の前の命が「タスク」になる時

私が特に葛藤を感じるのは、目の前の動物たちの存在が、時に「タスク」として認識されてしまう瞬間があることです。例えば、新しい子が来れば、「ケージの準備」「健康チェック」「保護経緯の確認」「写真撮影」「情報発信」といったリストが頭に浮かびます。もちろん、これらは全てその子のために必要なことですが、初期の「この子のために何ができるだろう、どんな子なんだろう」という純粋な探求心や感情的な繋がりよりも、まずやるべきことのリストが優先されてしまう自分に気づくのです。

また、複数の動物を同時にケアしている場合、それぞれの個性に合わせた細やかな対応よりも、全体としての効率が優先されがちです。特定の症状の子に手がかかれば、他の子たちのケアはルーティンワークとして流れ作業になってしまうこともあります。

このような時、「私は何のために活動しているのだろうか」「最初の情熱はどこへ行ってしまったのだろうか」と自問自答してしまいます。動物たちを救いたいという根源的な願いは変わらないはずなのに、日々の業務に追われる中で、その願いが薄れていくような感覚に襲われるのです。

効率の中に情熱を見出す試み

この「慣れ」や「効率化」は、活動を継続するために不可欠であると同時に、ボランティア自身の心をすり減らす可能性も秘めていると感じています。感情を抑圧しすぎると、やがて燃え尽きにつながりかねません。

では、この葛藤とどう向き合っていくのか。私自身、まだ答えを見つけられてはいませんが、いくつかの試みを続けています。

一つは、意識的に立ち止まる時間を持つことです。忙しい中でも、特定の動物の顔をじっと見つめたり、撫でながらその子の温かさや息遣いを感じたりする数分間を作るようにしています。これは、その子を「タスク」としてではなく、「唯一無二の存在」として再認識するための大切な時間です。

二つ目は、小さな変化や成長を見逃さないようにすることです。保護された当初は人間を恐れていた子が、少しずつ心を開いて甘えてくれるようになった。病気だった子が元気を取り戻した。そういった一つ一つの小さな成功を、当たり前と思わずに喜びとして受け止めるようにしています。効率を求める日常の中で、これらの小さな光が、初心や情熱を思い出させてくれるからです。

三つ目は、活動仲間と本音で語り合うことです。「最近、なんだかドライになっている気がする」「最初の頃みたいに感動できなくて悩んでいる」といった正直な気持ちを共有することで、一人ではないと感じられますし、他の人も同じような葛藤を抱えていることを知って安心することもあります。

葛藤を抱えながら、それでも続ける

保護活動数年目で直面する「慣れ」と「情熱」の間の葛藤は、おそらく多くのボランティアが経験することなのではないかと思います。効率を求めなければ活動は続かない。しかし、情熱や初心がなければ活動の意味を見失ってしまう。この二つの間を行ったり来たりしながら、自分なりのバランスを見つけていく作業が必要なのだと感じています。

完璧なボランティアになることは難しいかもしれません。常に最初の情熱を持ち続けることも不可能かもしれません。しかし、この葛藤を抱えながらも、目の前の命のためにできることを続けること自体に、大きな意味があるのではないでしょうか。

「慣れ」を完全に排除することはできませんが、その中に埋もれそうな情熱の火を、時々かき立てる努力を続けること。それが、活動を長く、そして自分らしく続けていくための鍵なのかもしれないと考えています。この葛藤は、活動の終わりまで続くのかもしれませんが、それと向き合いながら進む道の先に、また新たな学びや喜びが待っていると信じています。