全ての命を救えない現実。保護活動者が抱える葛藤
全ての命を救えない現実。保護活動者が抱える葛藤
動物保護活動に携わる理由として、多くの方が「一つでも多くの命を救いたい」という純粋な願いを抱いているかと思います。私自身もそうでした。活動を始めた頃は、目の前にいる助けを求める動物たちの全てに応えたいという強い思いで動いていました。しかし、活動を続けていくうちに、その思いだけではどうにもならない厳しい現実に直面することになります。
それは、「全ての命を救うことは不可能である」という事実です。
キャパシティの壁と向き合う体験談
私の活動拠点にも、日々様々な相談や保護依頼が寄せられます。虐待された子、病気の子、高齢で行き場のない子、多頭飼育崩壊の現場。どの命も助けを必要としています。最初はその全てに応えようと、受け入れ頭数を増やしたり、活動時間を削ったり、無理を重ねていました。
しかし、物理的なスペースには限界があります。預かりさんの数にも限りがあります。医療費や日々のケアにかかる費用も無限ではありません。そして何より、ボランティア自身の時間、体力、精神力といった「キャパシティ」もまた、有限なのです。
特に印象に残っているのは、ある冬の日、立て続けに数件の緊急保護依頼が入った時のことです。すでにシェルターは満杯、預かりさんも手一杯。健康状態が芳しくない子も多く、ケアに人手も時間も取られていました。その中で、どうしても受け入れられなかった依頼がありました。凍える屋外に取り残された、まだ幼い子たちの群れでした。
心臓をえぐられるような痛みを感じました。「どうしてこの子たちを助けられないのだろう」「私たちが動かなければ、この子たちはどうなってしまうのだろう」。無力感と自己嫌悪に苛まれ、夜も眠れませんでした。自分たちのキャパシティを知っていたにもかかわらず、限界を超えようともがいた結果、誰一人助けられなかったという現実が重くのしかかりました。
他のボランティア仲間も同じように苦しんでいました。中には「無理をしてでも受けるべきだった」という意見もあれば、「これ以上無理をすれば、今保護している子たちへのケアがおろそかになる」という現実的な意見もあり、話し合いが平行線をたどったこともありました。皆、命を救いたいという思いは同じなのに、直面する現実にどう対処するかで意見が分かれ、人間関係にひびが入るのではないかと心配になったこともあります。
限界の中で、どのように心と向き合うか
このような経験を経て、私は「全ての命を救う」という理想だけでは活動を続けられないことを痛感しました。理想を追い求めるあまり、自分自身や仲間のボランティアが燃え尽きてしまったり、今保護している動物たちへのケアがおろそかになってしまっては本末転倒です。
「できること」と「できないこと」を冷静に見極め、自分たちのキャパシティを知ることが、活動を継続していく上で不可欠だと考えるようになりました。これは、命を見捨てるということではありません。限られた資源の中で、最も助けが必要な子、自分たちなら助けられる子に全力を尽くすための、苦渋の選択であり、プロフェッショナルとしての姿勢だと捉えるようにしています。
助けられなかった命への思いは、消えることはありません。しかし、その痛みや無力感に潰されてしまうのではなく、それを次に繋げるエネルギーに変えていく必要があります。「あの時助けられなかった子のためにも、今、目の前にいる子を絶対に幸せにしよう」という決意として、心に刻んでいます。
また、自分自身の心のケアも非常に重要です。つらい状況や別れに立ち会うことが多い活動です。感情を抑え込まず、信頼できる仲間と話したり、時には活動から意識的に距離を置く時間を作ったりすることも必要だと学びました。完璧を目指さず、自分自身にも優しくあることが、長く活動を続けていくためには大切なのです。
限界を知り、最善を尽くすことの意義
動物保護活動は、時に喜びよりも苦しみに直面することの方が多いかもしれません。特に「全ての命を救いたい」という理想と、「全ての命は救えない」という現実のギャップは、活動者の心に深い葛藤をもたらします。
しかし、その厳しい現実を知り、自分たちの限界を認識した上でなお、「できること」に全力を尽くすこと、その中でたった一つの命でも救い出し、幸せな未来に繋げられた時の喜びは、何物にも代えがたいものです。そして、「助けられなかった」という経験もまた、次に活かすべき重要な学びとなります。
この活動に終わりはありません。困難な現実と向き合いながらも、自分自身と仲間のキャパシティを大切にし、できる範囲で最善を尽くし続けること。それが、私たちがこの活動を通して見出し、大切にしている意義なのだと感じています。一人で抱え込まず、仲間と支え合いながら、この道を歩んでいければと願っています。