保護活動、私の「限界」はどこにある?数年目の私が向き合う心の声
保護活動、私の「限界」はどこにある?数年目の私が向き合う心の声
動物保護活動に携わり、あっという間に数年の月日が流れました。活動を始めた頃の、目の前の命を救いたい一心だった情熱は今も胸にありますが、その中で感じるのは、活動の喜びだけではありません。増えていく責任、解決しない課題、そして何より、自分自身の心身の疲労です。
「いつまで、この活動を続けるのだろうか」
ふとそう考えたとき、自分の「限界」という言葉が頭をよぎることがあります。それは、これまでの活動を通じて、多くのボランティア仲間が活動から離れていく姿を見てきたからかもしれません。あるいは、自分自身が活動と日常のバランスを取るのに苦労し、時折「もう無理かもしれない」と感じる瞬間が増えてきたからでしょう。
活動を続ける中で見えてきた「限界」の形
活動初期は体力も精神力も満ち溢れていました。目の前の困っている動物がいれば、多少無理をしてでも手を差し伸べたい。そんな気持ちが原動力でした。しかし、活動が深まるにつれて、厳しい現実に直面する機会が増えました。
全ての命を救うことはできないという事実。懸命な介護も虚しく、看取らなければならないつらさ。保護頭数が増えるにつれて膨らむ医療費や運営費のプレッシャー。そして、ボランティア間での意見の対立や、外部からの心ない言葉に傷つくこともありました。
体調を崩したことも一度や二度ではありません。活動に時間を割くあまり、自分の休息や家族との時間が削られ、自己嫌悪に陥ることもありました。そんな時、心の中で小さな声が囁くのです。「もう疲れた。もう辞めたい」と。
その声を聞くたびに、私は罪悪感を感じました。自分が手を引けば、この子のケアはどうなるのだろう。仲間たちに迷惑をかけてしまうのではないか。そんな責任感や義務感に縛られ、自分の心の声に蓋をしてしまうことが多かったように思います。
「限界」は悪いことではない
活動を続けてきて、私は一つの大切なことに気づきました。「限界」を感じることは、決してネガティブなことばかりではない、ということです。それは、自分自身の心や体が「これ以上は難しい」と正直に伝えてくれているサインなのです。
このサインに気づかずに無理を続ければ、心身を壊してしまう可能性があります。それは、長期的に見れば活動を続けることすら難しくしてしまうことになりかねません。
自分自身の「限界」を知り、認めることは、活動をより長く、そして健やかに続けていくために必要なスキルなのかもしれません。
では、「限界」を感じたとき、私たちはどうすれば良いのでしょうか。
私の経験から言えることは、まずはその感情を否定しないこと。疲れている自分、つらいと感じている自分を、そのまま受け止めてあげることです。そして、信頼できる仲間に正直な気持ちを話してみることも大切です。同じような経験をしている人は、案外多いものです。
また、活動のペースを見直す勇気も必要です。抱え込みすぎていないか、他の人に任せられることはないか、活動の内容を少し調整できないか。完璧を目指すのではなく、「今の自分にできること」を見つめ直すことも有効です。一時的に活動から距離を置くことも、自分を立て直すためには必要な選択肢だと考えるようになりました。
自分の心と向き合いながら
保護活動は、確かに多くの困難を伴います。しかし、それ以上に、小さな命が回復していく姿を見たり、新しい家族の元へ送り出したりする中で得られる喜びは、何物にも代えがたいものがあります。
「限界」を感じながらも活動を続けているのは、きっと、そんな活動の価値を信じているからでしょう。そして同時に、自分自身の心と正直に向き合い、「できる範囲で、最善を尽くす」というスタンスで活動を続けていくことの大切さも学んでいます。
活動に終わりはありません。だからこそ、自分自身の「限界」と上手に付き合いながら、焦らず、自分を大切にしながら、この道を歩んでいきたいと思います。この記事を読んでくださっているあなたが、もし今、活動に疲れていたり、自分の限界を感じていたりするなら、まずはご自身の心に優しく寄り添ってあげてください。あなたは一人ではありません。