保護活動における理想と現実のギャップ。数年目の私が感じること
保護活動で知った、理想と現実の狭間
動物保護活動に足を踏み入れたとき、私の頭の中にはいくつかの理想がありました。「どんな動物も救えるはず」「愛情をかければ必ず心を開いてくれる」「仲間と力を合わせればきっとうまくいく」。メディアで見る保護活動の美談や、成功事例に心を動かされ、希望に満ちていたことを覚えています。
しかし、活動を数年続けていく中で、その理想が現実と大きくかけ離れていることを痛感する日々でした。目の前には助けを必要とする命が山ほどあるのに、私一人の力、いえ、一つの団体の力では、その全てに応えることができない現実。手厚いケアをしても、残念ながら回復せず旅立ってしまう小さな命。スムーズに進むと思っていた譲渡の話が、予期せぬ理由で流れてしまうことも少なくありませんでした。
理想だけでは立ち行かない、活動のリアル
私が直面したギャップは多岐にわたります。
まず、「全ての動物を救うことは不可能だ」という現実です。保護依頼は後を絶ちませんが、収容できるスペース、費やせる医療費、そして何より関われる人手には限界があります。どの命を優先すべきか、助けられない命を前にどう心を保つのか。この厳しい選択を迫られるたび、活動を始めた頃の「全ての命を救いたい」という純粋な理想が崩れていくような感覚に襲われました。
次に、「動物への愛情だけでは解決できない問題」です。病気や怪我、心に深い傷を負った動物たちのケアには、専門的な知識や莫大な医療費が必要になります。また、人間への不信感が強い子、問題行動を抱える子と向き合う根気強さも求められます。愛情はもちろん大切ですが、それだけでは立ち行かない場面が多々あることを学びました。資金調達やクラウドファンディングの運営、法的な知識が必要になるケースもあります。
そして、ボランティア間の人間関係も、理想とは異なる現実の一つでした。同じ志を持つ仲間だからこそ、意見の対立や価値観の違いが大きな溝を生むことがあります。動物への思いが強いからこそ、譲れない部分がぶつかり合い、心が疲弊することもありました。チームワークを重んじるべきだと分かっていても、感情的な摩擦を避けるのは難しい場面もあります。
ギャップを受け止め、それでも活動を続けるために
これらのギャップに直面するたび、私は「自分は無力だ」「理想通りにできない」と落ち込み、活動を続けるモチベーションを失いかけることもありました。完璧を求めるほど、現実との乖離に苦しみました。
しかし、活動を辞めずにこられたのは、完璧でなくても、限られた中でも、確かに変化や良い方向へ進んでいることがあると気づけたからです。救えなかった命のことは忘れられませんが、目の前にいる、今まさにケアが必要な動物たちのためにできることに集中すること。大きな理想だけを見るのではなく、今日できた小さな一歩や、一つの命が健康を取り戻し、新しい家族と出会えたことの喜びを噛みしめること。そうやって、少しずつ視点を変えていきました。
また、一人で悩まず、同じようにギャップに苦しんでいる仲間と本音で話し、共感し合うことの重要性も学びました。完璧なボランティアなどいないこと、誰もがそれぞれの限界の中で最善を尽くそうとしていることを認め合うことが、心の負担を軽くしてくれました。
理想と現実の狭間で、私たちができること
保護活動における理想と現実のギャップは、おそらく多くのボランティアが多かれ少なかれ経験することだと思います。そのギャップに苦しみ、立ち止まりたくなることもあるかもしれません。
しかし、その現実を知った上で、それでも「自分にできることは何か」を問い続け、できる範囲で行動することに意味があるのだと私は信じています。完璧を目指すのではなく、最善を尽くすこと。救えなかった命を悼みつつ、目の前の命に寄り添うこと。理想を持つことは大切ですが、現実を見据え、しなやかに活動を続けていく力が求められていると感じています。
この活動から得られる喜びは、決して理想通りの輝かしいものではないかもしれません。しかし、厳しい現実の中で、確かに手渡せた小さな命のバトンや、心を通わせられた動物たちの温もりは、何物にも代えがたいものです。理想と現実の狭間で揺れ動きながらも、私たちはその喜びややりがいを心の支えに、今日も動物たちのために歩み続けています。