すべての依頼には応えられない。保護活動で向き合う「断る」ということ
「助けてください」の声と、心の中の限界
保護活動を続けていると、「助けてほしい」という声が、想像以上に多く寄せられることを知ります。多頭飼育崩壊の相談、野良猫の親子をどうにかしてほしいという連絡、飼い主が見つからなくなった動物の情報、病気や怪我を負った子の報告…。一つ一つの声に、何とか応えたい、すべての命を救いたいという強い思いが湧き上がってきます。活動を始めた頃は、その衝動のままに動こうとしていた時期もありました。
しかし、数年活動を続けていくうちに、その思いだけではどうにもならない現実があることを、痛いほど思い知らされました。私たちボランティアや所属する団体には、物理的、精神的な限界があるのです。
限界を知るということ。具体的な「壁」
私たちの活動には、常にいくつかの「壁」が立ちはだかります。
まず、最も分かりやすいのが預かりスペースの限界です。保護が必要な子を受け入れるには、安全で適切な環境が必要です。しかし、シェルターのキャパシティや一時預かりボランティアの受け入れ可能数は限られています。次から次へと依頼が来ても、満室であれば物理的に受け入れは不可能です。
次に、資金の限界です。保護動物には医療費がかかります。怪我や病気があれば治療が必要ですし、健康な子でもワクチン接種や不妊・去勢手術は必須です。また、日々の食費や消耗品費、人件費(もし専従スタッフがいれば)、施設の維持費などもかかります。資金が底をつけば、必要な医療を提供することも、新しい子を受け入れることもできなくなります。
そして、見過ごされがちですが非常に大きな壁となるのが、時間と人手の限界です。多くのボランティアは本業の傍ら、または家事育児などの合間を縫って活動しています。限られた時間の中で、保護動物の世話、通院、譲渡活動、啓発活動、事務作業、そして寄せられる依頼への対応など、やるべきことは山積しています。体力的にも精神的にも、一人で、あるいは少人数でできることには限りがあります。
断る際の心の痛みと罪悪感
こうした限界に直面したとき、私たちは「断る」という非常に辛い選択を迫られます。「本当に申し訳ありませんが、今は受け入れが難しい状況です」と伝えるその一言が、どれほど重いか。相手の落胆した声や表情を想像するだけで、胸が締め付けられます。
依頼の中には、本当に切羽詰まった状況のものもあります。飼い主が入院することになった、経済的に立ち行かなくなった、高齢で世話ができなくなった、あるいは劣悪な環境で放置されている、といったSOSです。その背景を聞けば聞くほど、何とかしたいという気持ちが強くなります。それでも、自分たちのリソースを超えて無理に受け入れてしまえば、今いる保護動物たちのケアがおろそかになったり、活動そのものが立ち行かなくなったりするリスクがあります。それは、結果的に多くの命を危険に晒すことになりかねません。
「この子を見殺しにしてしまうのではないか」「もっと頑張れば、何とかなったのではないか」
断った後、そんな罪悪感に苛まれる夜もあります。その子のその後を案じ、眠れないこともあります。中には、心無い言葉を投げかけてくる方もいらっしゃいます。「命を救うのが仕事でしょう」「動物好きなのに、なぜ助けてくれないのか」と。そうした言葉は、善意で活動している私たちの心を深く傷つけます。活動のモチベーションが揺らぎそうになる瞬間です。
線引きの重要性と、罪悪感との向き合い方
活動を続けるためには、どこかで線引きをすることが不可欠です。それは、自分たちのキャパシティを知り、維持可能な範囲で最大限の力を発揮するための現実的な選択です。無計画にすべてを受け入れてパンクしてしまうことは、誰のためにもなりません。
線引きをする上で大切なのは、感情だけでなく、自分たちのリソース(資金、スペース、人手、経験)を冷静に見極めることです。どんなに助けたい気持ちがあっても、物理的に不可能であれば、それは無理なのです。
そして、「断る」ことは決して「見捨てる」ことではない、と自分自身に言い聞かせることも必要です。受け入れはできなくとも、情報提供をしたり、他の信頼できる団体や個人を紹介したり、行政の窓口を案内したりと、別の形でサポートできる可能性を探ることはできます。直接保護できなくても、その命のためにできることはゼロではないのです。
もちろん、それでも罪悪感が完全に消えることはありません。それは、命と向き合っているからこその感情であり、ある意味では活動への真摯さの表れでもあります。大切なのは、その感情に囚われすぎず、引きずりすぎないことです。罪悪感から無理を重ね、自分が潰れてしまっては、活動を続けられなくなります。
仲間と話すことも助けになります。同じような経験をしている人は、きっといます。自分の限界を認め、無理はしないという決断は、決して冷たいことではなく、活動を長く続けるための賢明な判断だと、互いに確認し合うことで、少し心が軽くなることもあります。
限界を知り、それでもできること
保護活動における「断る」という現実は、非常に厳しく、向き合うたびに心が削られる思いがします。すべての命を救うことは、残念ながら現在の社会の仕組みでは不可能です。私たちボランティアの力にも限界があります。
しかし、その限界を知ることは、無力感につながるだけではありません。自分たちができる範囲で、目の前の命にどれだけ深く関われるか、その質を高めることにつながります。断る選択をした子たちのことを想う気持ちを、今預かっている子たちへのケアや、活動を広めるためのエネルギーに変えていくこともできるかもしれません。
「救いたい」という純粋な思いは、活動の原動力です。その火を絶やさないために、私たちは自身の限界を知り、ときに辛い選択をしながらも、活動を続けていく覚悟が求められます。断ることの痛みを乗り越え、今できることに集中していくこと。それが、私たちがこの活動で学び、これからも向き合っていくべきリアルな側面なのだと感じています。