高齢や病気の保護動物と暮らす日々。ボランティアが直面する苦悩と覚悟
高齢や病気の動物たちとの出会い
動物保護活動に関わっていると、様々な状況の動物たちと出会います。その中でも、高齢だったり、何らかの疾患を抱えていたりする動物たちは、私たちボランティアにとって特別な存在です。彼らは往々にして譲渡が難しく、最後の居場所を求めて私たちの元へやってきます。
活動を始めたばかりの頃は、全ての子を救いたいという一心でした。元気な若い子も、人懐っこい子も、そしてもちろん、高齢の子や病気の子も。しかし、実際に高齢や病気の動物たちと向き合う日々の中で、理想だけではどうにもならない現実があることを痛感しました。
この記事では、私が数年間活動を続ける中で経験した、高齢や疾患を持つ保護動物たちとの暮らし、それに伴うリアルな苦悩や必要な覚悟、そしてそこから得られるものについて、正直にお伝えしたいと思います。
日常となる医療と介護、そして看取り
高齢や疾患を持つ動物たちの保護は、想像以上に時間的、精神的、そして経済的な負担が大きいものです。
覚えているのは、保護した時にはもう15歳を超えていた老犬のことです。彼は重度の関節炎と認知機能の低下を抱えていました。毎日の投薬、定期的な通院、夜中の徘徊や鳴きへの対応、寝たきりになってからの介護…。彼の穏やかな最期のためとはいえ、文字通りつきっきりの日々が続きました。自分の睡眠時間は削られ、他のボランティア活動や日常生活にも影響が出ました。
また、慢性的な疾患を持つ猫の場合、一生涯にわたる投薬や食事管理が必要になることがあります。定期的な検査費用もかさみます。一頭の医療費が、複数の健康な動物を保護・ケアできる費用を上回ることも少なくありません。活動資金が限られている中で、「この子にどこまで医療をかけるべきか」「他の子のために資金を温存すべきか」といった苦渋の決断を迫られることもあります。
そして何よりつらいのは、別れが避けられないということです。若い健康な子に比べて、高齢や病気の動物たちは、私たちの元へ来てくれる時間が短いことが多いです。深い愛情を注ぎ、懸命にケアしても、病気が進行したり、老衰が進んだりするのを止められません。最期を看取るのは、何度経験しても慣れることはありません。その子の命が自分の手の中で尽きていく瞬間に立ち会うたび、無力感や悲しみ、もっと何かできたのではないかという後悔が押し寄せます。
これらの経験は、活動の美談として語られることは少ないかもしれませんが、私たちボランティアが日常的に直面している現実です。
葛藤の中で見出す小さな光
このような厳しい現実の中で、常に心の中にあるのは葛藤です。「自分にできることには限界がある」「全ての子を救うことはできない」という事実を突きつけられるたび、活動の意味や自身の能力について自問自答します。特に、資金やリソースに限りがある状況で、どの命に優先順位をつけるのか、という問いは、私たちを深く苦しめます。
しかし、そんな苦悩の日々の中にも、確かに光は存在します。
先ほどの老犬は、最期の一年間を穏やかで温かい場所で過ごすことができました。痛み止めで少しでも楽になり、大好きだった撫でられる時間を安心して眠って過ごす姿を見るたび、保護してよかったと心から思いました。慢性疾患を持つ猫も、適切なケアと投薬で症状が安定し、短いながらも元気な時間を取り戻してくれたことがあります。
彼らとの時間は、長さではなく質だということを教えてくれます。たとえ数週間、数ヶ月であっても、その子が安心して眠り、美味しいものを食べ、愛情を感じられる時間を提供できたなら、それはかけがえのない価値があることです。
また、看取りの経験はつらいものですが、その子が安らかに旅立つのを見送るという経験は、命の尊厳について深く考えさせられる機会でもあります。別れは悲しいですが、その悲しみを知っているからこそ、今そばにいる命との一瞬一瞬を大切にしようと思えるようにもなりました。
苦悩と向き合い、活動を続けるために
高齢や疾患を持つ動物たちとの向き合いは、ボランティア自身の心身に大きな負担をかけます。この負担とどう向き合い、活動を続けていくのか。それは、多くの経験者が抱える共通の課題だと思います。
私自身が心がけているのは、「完璧を目指さない」ということです。全ての苦しみをゼロにすることは不可能であり、自分一人の力には限界があります。その限界を認め、抱え込みすぎないことも大切です。他のボランティアと悩みや経験を共有したり、プロのカウンセリングを利用したりすることも、心のケアには有効だと感じています。
また、この活動から得られる「喜び」や「やりがい」に意識的に目を向けることも、継続のために必要です。看取りの悲しみだけでなく、保護した子の笑顔、少しでも回復した姿、安心して眠る寝息など、日々の小さな変化や幸せを大切に噛み締めることで、また明日も頑張ろうという気持ちになれます。
高齢や疾患を持つ動物たちの保護は、確かに厳しい現実を伴います。しかし、彼らが私たちに見せてくれる生きる力、そして彼らに寄り添うことで私たち自身が学べることの深さは計り知れません。
まとめ
高齢や疾患を持つ保護動物たちとの日々は、困難と苦悩の連続かもしれません。医療費や介護の負担、いつか来る別れのつらさは、活動を続けるボランティアにとって重くのしかかる現実です。全ての命を救えないという無力感に打ちのめされることもあります。
しかし、そのような厳しい側面があるからこそ、彼らが最期の時間を穏やかに過ごせるよう手助けできること、小さな喜びや安心を提供できることの意味を強く感じます。彼らがくれる信頼や愛情は、何物にも代えがたい宝物です。
この活動は、終わりなき課題に満ちています。それでも、高齢や病気の動物たちと真摯に向き合い、彼らの命に寄り添う経験は、私たち自身の人間性を深め、命の尊さについてより深く理解させてくれます。苦悩の中で見出す小さな光、そしてそこから得られる学びややりがいこそが、私たちがこの活動を続ける原動力となっているのだと感じています。
完璧でなくても良い。できることには限りがある。それでも、今目の前にいるこの子にとって最善は何かを考え、行動し続けること。それこそが、高齢や病気の保護動物たちと向き合う日々の中で、私たちが培っていく覚悟なのかもしれません。