保護活動の本音

保護活動で向き合う「さよなら」のつらさ。看取りとその後の心。

Tags: 保護活動, ボランティア, 看取り, 別れ, 心のケア

命と向き合うということ、避けられない「さよなら」

保護活動に関わっていると、多くの命との出会いがあります。衰弱した状態で保護された子、人に怯える子、病気を抱えた子、そして元気いっぱいの若い子たち。それぞれに物語があり、私たちボランティアは、その命が少しでも穏やかに、幸せに過ごせるようにと日々活動しています。

新しい家族との出会い、元気になって走り回る姿、心を開いて甘えてくれる瞬間。活動の喜びは計り知れません。しかし、この活動には、喜びと同じくらい、あるいはそれ以上のつらさが伴います。その一つが、「さよなら」です。

譲渡という門出の「さよなら」も寂しいものですが、ここで触れたいのは、命の終わり、看取りという、もっと深く、心に刻まれる「さよなら」についてです。数年の活動経験の中で、私は何度かこの別れを経験しました。そのたびに、活動への向き合い方や、自身の心との向き合い方を深く考えさせられます。

その手を握り続けた、最後の時間

忘れられないのは、老衰で保護された一匹の老犬のことです。おそらく最期の場所を求めて彷徨っていたのだろうと推測されました。保護した時にはすでに体はボロボロで、立つことも難しく、ほとんど目も見えていませんでした。食欲もなく、ただただ静かに息をしている状態でした。

私たちは、この子が痛みなく、安らかに過ごせるように、できる限りのケアをしました。毎日体を拭き、少しでも口にできるものがあれば与え、そばに寄り添いました。夜中に様子を見に行くと、苦しそうな呼吸をしていることもあり、そのたびに胸が締め付けられました。

最期の夜、私たちは交代でその子のそばにいました。朝方、呼吸がさらに浅くなり、手足を動かす仕草が増えた時、ついにその時が来たと悟りました。呼びかける私の声に反応するかのように、ゆっくりと息を引き取ったのです。その小さな体を撫でながら、私はただ涙を流すことしかできませんでした。

数日、あるいは数週間という短い期間しか一緒にいられなかったとしても、その命との関わりは非常に濃密なものです。その子の生きてきた時間の重さ、そして私たちが最後に寄り添えたという事実。感謝と同時に、もっと何かできたのではないかという後悔、そして大きな喪失感が押し寄せました。

別の看取りの経験では、病気と懸命に闘った若い猫がいました。治療を続けましたが、病状は悪化の一途をたどり、最終的には安楽死という選択をせざるを得ませんでした。この決断をするまでの葛藤は、言葉に尽くせません。苦痛から解放してあげたいという思いと、まだ生きていてほしいという願いが心の中で激しくぶつかり合いました。獣医師と何度も話し合い、他のボランティアとも意見を交わしましたが、最終的な決断は、重く、深い痛みを伴うものでした。

安楽死の瞬間、その子の小さな命が自分の手の中で消えていくのを感じた時、私はただただ無力感に打ちひしがれました。「なぜ助けてあげられなかったのか」「もっと早く保護できていれば」という自責の念が、心を深くえぐりました。

つらさとの向き合い方、そして心のケア

看取りや、病気・事故による突然の別れを経験するたびに、活動の厳しさを痛感します。楽しいことばかりではない。むしろ、つらく、悲しいことの方が多いのかもしれない、と感じることもあります。時には、このつらさから逃れたい、もう活動はやめようかと考えることもありました。

しかし、そのたびに私の足を止めなかったのは、次に助けを必要としている命がいるという事実、そして、看取った子たちが私に教えてくれたこと、残してくれたものがあるからです。

つらさ、悲しみ、後悔といった感情を抑え込むことは、長く活動を続ける上で危険だと学びました。これらの感情は、命と真剣に向き合っている証拠だからです。大切なのは、これらの感情を認め、適切に処理していくことです。

私の場合は、信頼できる他のボランティアに話を聞いてもらうことが、一番の心の支えになりました。同じような経験をしている仲間だからこそ、分かち合えるものがあります。「つらかったね」「よく頑張ったね」といった、たった一言でも、心が軽くなるのを感じます。一人で抱え込まず、感情を言葉にして外に出すこと。これは非常に重要な心のケアです。

また、自分自身の時間を大切にすることも心がけるようになりました。活動から一時的に離れ、趣味に没頭したり、自然の中で過ごしたりすることで、心をリフレッシュさせる時間を持つようにしています。燃え尽きてしまわないためにも、意識的な休息は不可欠です。

看取りは、決して失敗ではありません。それは、その命が最期まで安心して過ごせる場所を提供できた、という一つの形です。短い時間であっても、私たちはその命に寄り添い、温もりを分け与えることができたのです。この事実に目を向け、自分自身の活動を肯定することも、つらさを乗り越える上で大切だと感じています。

別れが教えてくれる、命の尊さ

保護活動における「さよなら」は、何度経験しても慣れるものではありません。そのたびに心は痛み、涙を流します。しかし、その別れがあるからこそ、今目の前にいる命との一瞬一瞬がいかに尊いかを、私たちは深く実感することができます。

看取りは、保護活動の「裏側」とも言えるかもしれません。華やかさや賞賛とは無縁の、静かで、そしてとても重い時間です。ですが、私はこの時間を通して、命の儚さ、そして私たちができることの限界を知ると同時に、限られた時間の中でどれだけ深く関われるか、という活動の本質を教えられたように感じています。

つらい経験も含めて、保護活動は私の人生に多くの学びと、かけがえのない出会いをもたらしてくれました。別れを乗り越える強さは、きっと次に手を差し伸べるべき命のためにあるのだと信じています。そして、看取った子たちがくれた温もりと教えを胸に、私はこれからも保護活動を続けていきたいと思っています。