保護活動の本音

保護動物の医療判断。どこまで向き合うか、ボランティアの葛藤

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保護動物の医療判断が突きつける現実

保護活動を続けていると、様々な命と出会います。元気で新しい家族を待っている子もいれば、人馴れに時間がかかる子、そして残念ながら病気や怪我を抱えている子も多くいます。彼らが私たちの元に来たとき、まず獣医師の診断を受け、必要な医療を提供するのが私たちの役割です。しかし、その「必要な医療」を判断する場面で、私たちはしばしば重い現実と向き合うことになります。

命と治療費、そしてQOLのバランス

具体的な例をいくつか思い返します。交通事故で大怪我を負った犬、進行したがんが見つかった猫、原因不明の慢性疾患に苦しむ子たち。獣医師からは複数の治療選択肢と、それぞれの費用、予後について説明を受けます。

手術をすれば助かるかもしれないが、成功率は高くない上に莫大な費用がかかる。 積極的な治療は動物に大きな苦痛を与える可能性がある。 治療法はあるが、完治は難しく、一生投薬やケアが必要になる。

こうした説明を受けるたび、胸が締め付けられます。目の前の命を救いたいという強い思いがある一方で、団体の限られた資金、他の多くの保護動物にかかる費用、そして何よりもその動物自身の「生きていることの質」、つまりQOLをどのように守るかを考えなければなりません。

「どこまで費用をかけるべきなのか」「これ以上の治療は、動物にとって本当に幸せなのだろうか」

こうした問いが頭の中を駆け巡ります。保護活動は感情だけでは続けられません。現実的な資源と動物の最善の利益、この二つの間でバランスを取る難しさを、医療判断の度に痛感します。

チーム内の意見の相違と、たった一つの判断

医療判断は、多くの場合、一人で下すものではありません。代表、他のベテランボランティア、そしてもちろん獣医師との話し合いを通じて決定されます。しかし、それぞれの経験や考え方、感情が異なるため、意見がすぐにまとまらないこともあります。

「助かる可能性があるなら、どんなに大変でも治療を尽くすべきだ」 「いや、これ以上苦痛を与えるのはかわいそうだ。安楽死も選択肢に入れるべきではないか」 「費用対効果を考えれば、他の子に回した方が多くの命を救えるかもしれない」

どの意見も、動物を思うからこその言葉です。しかし、立場や価値観の違いから、議論が平行線をたどることもあります。そんな時、最終的な判断を任される立場にあると、その重圧に押しつぶされそうになります。話し合いの結果、全員が納得する結論に至らないこともあります。それでも、私たちは一つの結論を出し、実行に移さなければなりません。その判断が、文字通り動物の生と死を分けるからです。

重い判断の先に学ぶこと

こうした経験を通して、私は完璧な「正解」は存在しないのだということを学びました。どんなに悩んで下した判断も、後から「もしあの時別の選択をしていたら」という思いがよぎることは避けられません。特に、最期を看取ることになったり、安楽死を選択したりした場合は、その悲しみや後悔は計り知れません。

それでも、活動を続けていくためには、この重さと向き合い続けなければなりません。私自身がこうした困難な判断を乗り越えるために大切にしているのは、以下の点です。

命の重さと向き合い続ける

保護動物の医療判断は、活動の中でも最も精神的に消耗する側面のひとつです。しかし、この困難なプロセスを通して、私たちは改めて命の尊さ、動物への責任、そして同じ志を持つ仲間との絆の重要性を深く感じます。

全ての命を救うことはできないかもしれない。全ての病気を治すこともできないかもしれない。それでも、目の前にいる一頭の動物のために、その時考えうる最善を尽くすこと。そこに私たちの活動の意義があるのだと信じています。

医療判断の葛藤は、これからも私たち保護ボランティアに重くのしかかる現実でしょう。しかし、その重さから逃げるのではなく、真摯に向き合い、学び続けることが、動物たちへの最大の誠意であると私は考えています。